型染版画 寒山拾得 シリーズ50
ここ寒山に隠棲してからは、無碍自在な境地に住んでいる。もはや煩悩や妄想に悩むこともなくなった。
こころ静かに石壁に向かい、詩を作りながら書き付ける
もはや自由無碍に解き放たれた私の心は、何にも束縛されないし、だれも引き止めることは出来ない。 ちょうど綱で係留されていない舟のように自然のままなのだ。
http://www.katazome.com/ 游染工房 私の画廊へもお越し下さい。
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ここ寒山に隠棲してからは、無碍自在な境地に住んでいる。もはや煩悩や妄想に悩むこともなくなった。
こころ静かに石壁に向かい、詩を作りながら書き付ける
もはや自由無碍に解き放たれた私の心は、何にも束縛されないし、だれも引き止めることは出来ない。 ちょうど綱で係留されていない舟のように自然のままなのだ。
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我が家に一窟がある。その中は実に見事に何も無い。さっぱりとしてからりとしたこの空間は谷に臨んでいるため、太陽が入り明るい。
質素に野菜を食べて身体を養い、粗末な麻の着物で身体を覆っている。「本来無一物」という言葉のとおり執着する何物も持っていない。
この状態だから、かりに千人の賢者が目前に現われたとしても、びくとも動揺なんかしない。
私には天然・自然のままが即ち「ほとけ」なんだといった本当の佛性を掴まえたから。
無手勝流の身に佛性が加われば心は晴れ晴れなんだ。
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ここに一本の樹が立っているが、周囲の林の木とは違って太さも姿も、優に倍以上あるだろう。根も梢も環境の変化に堪えて来た事が歴然としている。
人々はこの老木の姿がみすぼらしいと笑っている。
しかし、その内側にある木の質の立派さには気がついていない。
周囲の木と異なるだけの修行もしてきた、そして今は一切の執着からも解放されたと、自分では思っている、他の若い木々とは姿は劣る。しかし中身は「真実」が詰まっている筈だ。
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ひとりで坐っていると、常に心はいらいらとして落ち着かない。いつまでも、もの思いの状態は続き留まることはない。
山の中腹までも雲が満ちて、谷の風は止む事無く常にしゅうしゅうと吹いている。
猿がきて樹木は騒がしく、鳥が群れて林は一段とさわがしくなる
時がたつにつれて鬢の毛はまばらになってくる。また秋深く、年がおしつまると老いが感じられて悲しく寂しい思いがつのってくる
自然の中に没入しようとする自分と、自然に入れば入るほど人間の営みや命のはかなさがはっきりとしてくる。
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俗世間の交わりを絶ち、山深くかくれ住んでいるのだが、俗世間の事情は実にさまざまで、いろいろな形で自分に迫ってきている。
私自身恥ずかしいことだが、そのように雑然とした俗世間から離れることも出来ないで、昔の友人を訪ねて昔を懐かしんでいる。
昨日は徐さんの弔問に行った。きょうは劉さんの葬式で野辺のおくりを済ませてきた。
毎日落ち着いている事も出来ない。世の中にいて世を忘れ、世の中の執着から離れなければならないのだが、私の心は苦しむばかりだ。
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