型染版画 寒山拾得  シリーズ61

Cimg12231  寒山拾得ー61 「怒りの火」

「怒り」は心のなかで、燃え上がる火のようなものである。
いままで苦労して積んできたささやかな、功徳も、またたくのうちに、焼きつくしてしまう。

菩薩になろうとするもの、菩薩から仏になろうと修行しているものも、「怒り」の芽が発芽しないように、充分注意してひたすら耐え忍ばねばならない。

「怒り」は三毒の一つ、煩悩の根本の一つである。これを菩薩の行である「忍辱の行」を発揮して、より強固な自分になって修行を続けなければならない。

しかし、われら凡人は、怒ることは最も人間的な感情と思っているし、怒らねばならないることが多すぎる世間だから心の中は四六時中火が絶えない。勿論、菩薩や仏になろうとも考えない。寒山よ、どのように考えるか。

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型染版画寒山拾得シリーズ

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型染版画  寒山拾得 シリーズ60

Cimg12161  寒山拾得 60 「長く続く悲しみと嘆き」

何のためにいつも悲しみ嘆いているのだろう。

人の一生など朝生えたきのこの様な物で、夕方には消えてしまう。僅か十年ほどの間に昔からの友人や付き合い始めた人たちが亡くなっていく。

この事を考えると、とてもつらい。悲しみを堪えて忍ぶことはとても出来ない。

どうすればよいか。どうすべきか。
このまま山へ帰って隠れ住むことぐらいが私に出来る只一つの方法だ。
山に入ることは単なる行動ではなくて、自己がもっている佛性にむきあって悟りを得ると云っている 

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型染版画 寒山拾得 シリーズ59

Cimg12151_2   寒山拾得59話 「塵と埃の中の人生」

人間の生涯というものは、立ちこめた塵のなかでの暮らしに等しい。
言い換えればちょうど盆の中の虫のように、一日中盆のなかを歩き回るだけで、外に出る智慧もなく飛び立つこともなく、休む事もなくただ歩き回って生涯を終わる。

仙人になることなどは思いもよらない。
身を圧するほどの煩悩と、妄想にとりつかれている。
しかし時間は容赦なくすぎ、歳月は流れる水のように過ぎ去り、そこには老いたうつろな人が佇んでいるだけだ。
みんな早く目を覚ますんだ。

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型染版画 寒山拾得 シリーズ58

Cimg12141 寒山拾得58 「船の宝はどうなる?」

帆柱は折れた。船尾の舵も壊れた。

この難破船にのせた宝はどうなるのか。

風のふくままに任せ、浪の上下に翻弄されて
どうする事も出来ない。これでは岸に着くどころか海中に消えてしまうのは目前だ。

船の中でなにもしないで坐っていてはいけないのだ。

この話の目的は、「生死の苦海をさまよっていてはいけない。この迷海を脱出しようとするならば、自分の中にある仏性に早く目覚めて向こう岸に着かねばならない。」と言っている。

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Cimg12051_2 寒山拾得 シリーズ57 「憐れなるビョーキ
  
 憐れにも不憫なのは、庶民の病である。
 どれだけ食べてもすこしも飽きないで食べ続けている。蒸した豚の肉には、ニンニクと味噌をつける。焼いた鳥には、山椒と塩をふりかける。新鮮な魚のナマスは骨を抜き取り、よく煮るあつものは皮をつけたままにする。

これら生あるものの命のことは全く考えることもしない。
ただ自分の、空腹を満たし舌の満足のみに固執している。わが肉もその他の衆生の肉も同じなのだ。変っているのは姿だけなんだが。
仏教界では肉食を禁じているが、これは人間の貪欲による殺生と、人間の独善と悪業を戒めていることなんだが。仏教界の退潮につれてますます肉食は進んできている。
寒山の昔から中国で肉食を禁じていたとは、すこし以外な感じもする。

   

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型染版画  寒山拾得シリーズ56

Cimg12061  寒山拾得シリーズ56
         「断崖の大樹」

昨日、山の頂上へ久しぶりに登った。千尺もある断崖絶壁から底を覗いてみた。
この危険な絶壁の所に一本の大木が生えていた。

その木は風に吹かれてついに二本に割かれてしまった。そして雨に曝されて少しずつ腐っていった。
晴れた日には容赦なく太陽が照り付けて、腐った木は灰の様なゴミになってしまった。
毅然として断崖に立って枝や葉を茂らしていた樹の姿がいまや灰のようなゴミに変わった。

人間の生涯もこの樹のようなもので、いつも断崖にのぞんでいて危険をはらんでいる。
そして時期がくれば、たちまちにして老いてしまって煙になって終わる。
この掟は必定のものであって誰も避けることは出来ない。
だから生きている間を無意義に終わらせないことだ。(と、寒山は諭している)

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型染版画 寒山拾得 シリーズ55

Cimg12071 寒山拾得 55 「国家と民」

国(国家)の根本は国民である。それはあたかも樹木と土地の良し悪しに似ている。

土地が豊かに肥えていれば樹木はよく茂るし逆に痩せていれば、樹はやせて、葉もまばらにしか茂らないでいずれは衰えて枯れる。

また樹木の根は地上に露出させてはいけない、そうすれば必ず葉も落ち、果実も実る事は無い

池の堤をきって魚をとるような事をしてはいけない。それは目先の利益を追うにすぎない。これは民に重税を課して、結局は民を疲弊させているだけである。

禅の詩人である寒山が、このような国家経営の詩を残していたとは驚きでした。それよりも今の日本の状況を眺めながら詠んだ詩の様で、なんともおかしくもあり、恥ずかしい話だ。

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型染版画  寒山拾得 シリーズ 54

Cimg12031   寒山拾得ー54 「憐れな風景」

昨日、河岸を歩いたがなんとも憐れで無惨な風景があった。まともな樹は数本で、あとはみな斧で切り倒されて憐れな姿をさらしていた。

斧のあとが痛々しく、裸木になった姿に霜が当たり、黄色に枯れた葉がまとい付き、流れは腐った根を洗う。

しかしこの風景は別段、不思議でもなく、当たり前の、ごく自然の風景なのだ。すべて生命のあるもの、生きているものの風景なのだ。世の中の人たちはこの岸辺の樹のように喘ぎながら生活しているのだ。

寒山の詩、はこの様な苦界の浮世から脱出して、深山幽谷で静に仏道を成ぜんことをすすめている。 

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型染版画  寒山拾得  シリーズ53

Cimg12021  寒山拾得シリーズ53「早く・早く・・・」

崩れ壊れて荒れ果てたあばら家。その荒れた家の周辺に煙がたちこめている。中には大勢の子供達がいる。

子供達を迎えに、羊の車、鹿の車、牛の車が揃った。しかし子供たちは見向きもしないでいる。現状を理解もせず、ただ満腹して満足している。

これは法華経の第三・譬諭品にある教えをのべている。三種の車を用意したのは子供らの父親、子供らをこの車に乗せてこの欲望の苦界から脱出させようとして迎えにやらせた。

羊と鹿、それに牛、三種の車はそれぞれ衆生を乗せて仏の世界へ導くもの。無知なる子供の姿に匹敵するのは貴方じしんかも。  (寒山の思想にも法華経があった)

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